あとぷうの日記

重症アトピーでした。脱ステ+脱保湿+食生活で治しました。参考になればです!

食品添加物について考える①

わたしは化学合成の食品添加物について、なるべく避けるべきだと思っていて、お店で加工品を買うときにも、原材料のところを確認するようにしています。

食品添加物は、自分のアトピーを過去憎悪させた原因の(大きな)ひとつであると思っていて、現在でも、油断して多く摂取してしまったら、症状を再燃させてしまうんじゃないだろうかとおそれているからです。

でも、たとえば、食品アレルギーのある子ども用の、市販の加工食品などには、当然アレルゲン食品は含まれないものの、意外に多くの食品添加物が使われていることがあって、驚くことがあります。卵や牛乳など使えない食品の役割を補うために、添加物が多くなってしまうのかもしれません。でも、これらの食品の中には、必須とも思えない(見栄えをよくするためだけの)人工由来の着色料などが添加されていることもあり、たぶん、このあたり神経質な人(わたしとか)と、鷹揚な人(特に気にしない人)に分かれるのだと思います。

世の中の商品には「無添加」を謳うものが以前より増え(それでも、「何が添加されていないのか」は、確認しなければならない)、扇情的なアンチ食品添加物的な書物や、ネットの記事も目にするようになりました。でも、それと同時に、「アンチ食品添加物」が、疑似科学やトンデモ理論などといっしょにくくられて語られることも多くなったようにも思います。オーガニック食品などがやり玉にあがることもあります。

わたしのように化学合成の食品添加物を忌避する人は、彼ら(添加物を安心安全だと語る人たち)にとって、非常に非科学的で、脊髄反射的な反応をしている、と思われているようです。天然物であろうが人工物であろうが、重要なのは「閾値」であり、「取りすぎない限り(そして取りすぎることは通常では考えられない)」食品添加物は、まったく何の問題もない、ということらしいです。

わたしも、自分がある程度「脊髄反射的」なのは認めたいと思います。何しろ市販の加工食品の原材料に、ダラダラとカタカナの名称が続いていたら、それだけで自分の購入対象からは外してしまうくらいです。「うまみ調味料(アミノ酸)」が添加されたものも、通常、積極的に買いません。いくらアミノ酸が栄養素として人体に大切なもので、多くの食品からアミノ酸を摂取していると知っていても、です(それとこれとはまったく別だと思っています)。

結局のところ、わたしはズルズルの重症アトピーになって、それを治していく過程において、母の影響で自然療法的(食事を大切にする)な手段をとり、結果として快復した体験があるので、「化学合成的な添加物=よくない」という公式が自分の中にできあがってしまっているのだと思います。「自然療法」は、ふるくからの民間療法のようなもので、過去の経験を基にしてできあがっています。「ハトムギは肌によい」とか、「レンコンのフシの部分が喉にいい」とか、「緑茶は体を冷やす」とか……。あまり、「それがどうしてなのか?」という理論的な部分は重要視されていないので、現代の「エビデンス」を求める風潮の中では、疑問視されてしまうのかもしれません(「風邪のときにネギを首に巻く」などの、いわゆる「おばあちゃんの知恵」的なものでも、現代科学でその効果が証明されてきているものもあるようですが)。

でも、自分の中に、あまりにも無批判的に「化学合成の食品添加物=悪」という思い込みがあるのもどうかと思うので、「添加物は悪いものではない」という意見にも、積極的に耳をかたむけるようにしています。

そんな中で、目にして読んだのが『長村教授の正しい添加物講義』(長村洋一著)でした。

長くなったので、次回に続けます!!

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アトピーが酷いときからよくなるまでの心理状態の変化

わたしのめちゃくちゃに酷いアトピーが少しずつ癒えてよくなったときの、その「道中(過程)」の気持ちの変化を書き残しておこうと思います。

わたしは、いわゆる「リバウンド」とよばれるような激烈に酷い状態を3度経験しています。

3度も似たようなことを繰り返すのですから、1度目と3度目は少し違ったかもしれませんが(というか、そうでないと進歩がないということになってしまいますが……)、程度の多少はあれ、だいたいは似たような気持の変化をたどったように思います。どのような気持ちの変化かというと……、

①怒り ②悲憤・落ちこみ ③反省・あきらめ ④折り合いをつける ⑤気にしつつ気にしないようにつとめる ⑥意識しない時間が増える

と、こんな感じだったと思います。

 

①怒り(肌状態・酷い)

これは、もうアトピーという症状そのもの、ひどい肌の外見、身体的なつらさ、すべてに対する怒りの時期でした。「なぜ自分が?」「どうして自分だけが?」という、気持ちでいっぱい。頭の中は「なぜ?」「どうして?」「なにも悪いことはしていないのに」という、子どもっぽいやりきれなさでパンパンでした。友だちや世間の人が幸せそうに見え、仮に不幸だという人がいたとしても、自分よりは数倍もマシ、と心底思う始末。とにかく、人生の「理不尽」で「不当」な仕打ちに、怒り、また混乱している時期でした。わたしはアトピーの際、感情をあまり表に出せなかったので(自分の姿がみにくいので、なんか負い目を感じて、家族に対してもワアワア言えない)、内部に燃える怒りはすさまじかったと思います。

 

②悲憤・落ちこみ(肌状態・酷い)

①の「怒り」と、表裏の関係にあったように思います。とにかくつらい。みじめ。自分がかわいそうすぎる。人生が投げてよこすボールが、ひどすぎる。二度と友だちには会えない。外にも出たくない。この状態はマシになるんだろうか、治るんだろうか? ひとりのときに、ワンワン泣きました。「怒り」のときには、まだアトピーに対して攻撃的(なんとか克服してやる!)という気持ちでしたが、この時期は、どちらかといえば、「もうダメだダメだダメだ。でもなんとかしなくちゃ」といった状態でした。悲しいといってもうつ状態ではなく、底には怒りがある感じ。①から②へと移行しましたが、移行後も、①②は繰り返し交互に現れる感じでした。

 

③反省・あきらめ(肌状態・超!酷い→少しずつ回復)

この気持ちは、つらさMAXのときに現れたと思います。①と②を交互に繰り返し、日々、肌の酷い状況が少しよくなったり、悪化したりするのに一喜一憂し、「とにかくよくなりたい、なんとかしなくちゃ!」と、神経が張りつめているときに、さらに一瞬にして状態が悪化し、途方もない無力感におそわれたときに起こった気持ちです。怒りでもなく、悲しみでもなく、頭が真っ白になる感じ。ここで、それまでずっと感じていた「怒り」を捨てました。1回目のリバウンドのときには、(誰に対してというわけでなく)、「ごめんなさい、ごめんなさい」ってあやまったのを覚えています。子どものころから自分がアトピー体質だとわかっていながら不摂生を続け、自分の体に負担をかけていたことに対する謝罪であり、「こんなひどい体質に生んで」とひそかに感じていた親への怒りに対する謝罪であり、もろもろひっくるめて自分の傲慢さに対する謝罪でした。そして、①②のときには、自分の状況を否定していましたが(なんなら「夢じゃないのか」というくらいの勢いで)、ようやく、向き合うようになりました。反省したような、「どうとでもなれ」と、半分投げ出したような、そんな時期でした。そして、この時期から、少しずつ肌の状態がましになってきました。

 

④折り合いをつける(肌状態・やや回復・こう着状態)

酷さMAXの状態から少し回復して、本を読んだり、情報を収集したりして、自分の状況を客観的に見ようとした時期でした。身動きができないような酷い状況からは一歩抜け出たものの、見た目は相変わらず悪い……。顔は真っ赤だし、あちこちガサガサ。本音では、白くつるつるの肌になってから、何事もなかったかのように社会生活をしたい。でも、そういかないのもわかっている。自分がアトピー体質であるということを受け入れよう。いろいろなことができないのをアトピーのせいにしてはいけない。人は自分が気にするほど、自分のことを気にしていない(と、思おう!)。そう思って、自分をだましだまし、社会復帰していった時期でした。

 

⑤気にしつつ、気にしないようにつとめる(肌状態・だいぶ回復・一部こう着状態)

もうアトピーにとらわれるのはやめよう! と思いつつ、なかなかそうもいかない時期でした。身体のアトピーはほぼ消えていましたが、顔の赤みはしつこく残って、わたしを憂鬱な気分にさせていました。なにしろ、いちばん目立つ場所……。しょっちゅう鏡をのぞいていました。鏡を確かめては、「見ても、見なくても、赤いのはいっしょ! だったら、見ないようにしよう」と、決心したり……。

 

⑥意識しない時間が増える(肌状態・だいぶ回復→回復)

最後まで残っていた、顔の赤みが消えたのがこの時期でした。はっきりいつ消えたか、わかりません。⑤で、気にしないように意識的に「つとめていた」のが、いつの間にか、本当に気にせずにいられる時間が増えていました。頭の中がアトピーのことでいっぱいでなくなって、そうして、気持ちも身体もアトピーから解放されていきました。

 

いちばんつらかったのは、もちろん①~③の時期。でも、いちばん長かったのは⑤の時期だと思います。

わたしの個人的な体験ではありますが、①~⑥への気持ちの変化は、ほかの人にもあてはまる部分があるのじゃないかと思います。

もし、今、アトピーのことで、「怒り」を感じているとしたら、その感情は早く手ばなしてあげたほうが、自分自身も楽になるし、きっと身体の回復の力になるように(わたしは)思います。でも、もちろん、「怒り」を感じるべき時期もあるでしょう。そして、必要な分、めいっぱいいきどおったら、怒りをおさめて、自分をよしよししてあげてください。

「悪い食べ物」といわないでほしい。子どもの気もち。

慢性アトピーの原因って、本当になんなんでしょう? 子ども時代~おとなまで、ずうーっと長年付き合ってきましたが、わたしには結局よくわかりませんでした。特定の食べ物なのか、合成添加物なのか、栄養過多なのか、はたまた栄養不足なのか、ハウスダストなのか、大気汚染や建材などのケミカルなのものなのか、花粉のように自然物のアレルギーなのか、気候なのか、運動不足なのか。

ところで、わたしが子どものときには、町のお医者さんに行くと、「青魚は避けてね」といわれていました。しばらくたつと、今度は「青魚のDHAが肌にいい」といわれはじめました。チョコレートや、刺激物、甘いものは(たまにはいいけれど)避けるべきものとして教えられました。肉に関しても、鶏はいい、いや鶏はダメ、とか、お医者さんによっていろいろあった気がします。

薬物療法のほかに、こんな感じの食べ物のアドバイスは、ふつうの町のお医者さんでもごく一般的だったと思います(今はどうなのでしょうね。食物アレルギーでなければ、むしろあまりいわないのかも?)。

こうして、初期のころから、甘いもの、市販のお菓子(スナック類)などは、わたしが食べてはいけない、ダメな食べ物でした。チョコレートなんかは、もう「ダメダメ」でした。

わたしの母は、こうした制限している食べ物のことを、ざっくりと「悪い食べ物」「よくない食べ物」と、呼んでいました。肌の調子が悪化すると、「ほら、このまえ『悪いもの』を食べたから」とか、「(友だちの家で)何か『よくない食べ物』食べたんじゃない?」なんていう風にいうのです。もちろん、母は、わたしの体にとって悪いものという意味で表現していただけで、特にひどい意味で使っていたわけではありません。いいかただって、ごくナチュラルないいかたでした(おどされたり、いやな感じでいわれたりしたわけではありません)。わたし自身も、母の表現する意味はちゃんと理解していました。

でも。

わたしにとって、物心ついたころには、チョコレートは「とても悪い食べ物」でした。クリームたっぷりのケーキも「悪い食べ物」でした。清涼飲料も同様。町を歩けば、悪いものだらけ。よくないものが世間にあふれていて、なんだか釈然としない感じを覚えたものです。

また、症状が悪化したときに、「悪いものを食べたから」といわれると、症状が悪化しているだけでも既につらいのに、「自分がダメだったから」「自分が悪い子だから」的な思考におちいりやすくなりました。そうではないと頭ではわかっていても、おちいるのです。

なんで、「悪い食べ物」が町中にあふれているのか? あの子はどうして「よくない食べ物」を食べて、親に怒られないのか。そう思うと、なんとなくやりきれない気持ちにもなりました。

だから、もしも現在、子どものためになんらかの食べ物の制限をしている人がいるとしたら、それらをざっくり簡単に、「悪い食べ物」と、いわないでほしいのです。めんどうでも、「いまは食べられない食べ物」「いまはがまんする食べ物」「食べると、症状が悪化しちゃうかもしれない(悪化する)食べ物」などのように話してあげてほしいのです。食べ物を「よい」「悪い」でくくらないでほしいのです

子どもは、それでなくても、症状のある自分に罪悪感をいだきがちです。親に対しては、(きっと親が想像する以上に)申し訳ないと思っています。そんな子どものためにも、おとなには、「悪い物を食べたから治らないんだ。→自分が悪いから治らないんだ」というような、単純な思考回路におちいらないような心くばりがほしいのです。

アトピー/たたかいの痕

ひどいアトピーが治まって何年も経ちましたが、いまだにその痕跡が残っているところがあります。

たとえば、わたしにとっていちばん古くからの患部であった(おなじみの)肘の内側は、長年にわたって湿疹になったり、治ったりをくりかえしたため、今もくすんだ色をしていたり、少しごわごわしたりしているところもあります。でも、見た目の「痕」という意味では、意外に大したことはありません。

外見的に、いちばんひどく痕が残っているのは、背中、タンクトップを着たら、ちょうど半円の襟ぐりから出ている場所あたりです。

どんなふうになっているかというと、「日焼けを大・大失敗して、ひどくむらむらに焼けてしまった、その痕」という感じです。手の平くらいの面積で、茶色く点々と色素沈着を起こしています。

 

「なぜこの場所が?」という意味では、自分でも意外で、不思議に思います。なぜなら、背中は長年アトピーだった場所ではなく、リバウンド時など、もっともひどかったときに限って炎症ができていた部分だったからです。ひどかったときには、たしかにそのあたり一帯もずるむけになりましたが、でも、治るときも比較的早かったのです。だから、なぜこの背中の痕が、他の場所以上にいつまでも残っているのか不思議なのです。たとえば、首の後ろなんかは、もともと湿疹が出がちのところでしたし、なかなか治らない部分でした。でも、今、その痕はありません。首の後ろと背中は距離的には近い、と素人的には思うのですが、結果には差があります。不思議です。もしかすると、皮膚の新陳代謝の問題なのかもしれません。

 

さて、この色素沈着の痕ですが、ただの痕ですから痛くもかゆくもありませんが、けっこうしっかりした色なので、痛々しいというか、まあ、美しくはありません。

鏡にうつして見るたびに、「けっこう目立つなあ」と思います。夏場、丸襟のシャツを着たりすると、外からも見えます。

でも。

気にはしているのですが、「心底いやだ」と思っているかといえば、そうでもありません。

鏡で確かめるたびに感じるのは、「(当時は本当に)ひどかったよねえ…。ひどすぎたよねぇ。ボロボロだったよねえ。よくがんばったよねえ、わたし…」という、どちらかといえば感慨深い思いです。

少しも美しくはありませんが、あえてこのままでも構わないと思います。

それは、ひとつには、アトピーがひどかったときに比べたら、色素沈着なんかそれこそ「へ!でもない」という気持ちと、もうひとつは、「これくらいでちょうどいいんだ」と思う気持ちがあるからだと思います。

カンペキを求め出すと、やっかいなところへ踏みこみそうな気がします。

それは、ステロイド軟こうで一瞬のうちにツルツルすべすべになったときのうれしさと、でも同時にあやうさを混ぜた気持ちを思い出させます。

自分の肌は弱くて、ちっともカンペキじゃない。

カンペキじゃないけど、まあいいか。

それくらいの気持ちでいられると、結局、肌も気持ちも、長くおだやかでいられるように思うのです。

 

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アトピー・脱保湿/わたしはこんなふうに脱保湿しました!

以前は、「脱ステしたけれど、アトピーがなかなか治らない」という人に対して、わたしは、「脱保湿がいいよ! わたしは脱保湿で治ったよ!!」と、フンフン鼻息荒く、薦める気まんまんだったのですが(このブログでも、そういう記事を書いていました)、いろいろな体質や状態の人がいる中で、個人的な考えとはいえ、医者でもないのに、ある一つの方法をオススメするのは無責任だと最近思い直しました。反省。

 

わたしは専門家でもなく、元患者にすぎません。

わたしが感じることは、ただの「感じ」であって、わたしが行った脱ステや脱保湿と、わたしがアトピーから解放された因果関係は、結局のところ、証明できるわけではありません。専門家ではないのだから、エラそうなことはいえません。

 

でも。

一方、それは、わたしは傍観者ではなく、当事者であったということでもあります。わたし自身が実際に苦しみ、泣き、そしてなんとか復活しました。

わたしには、自分の身体を通して体験した「実感」があります。

ステロイド軟こうは永遠に効く/効かなくなることもある」という問題が、多くのお医者さんがたにとって所詮ひとごとでも、わたしにとって、ひとごとだったことは一度もないのです。

この場合の「ひとごと」というのは、「問題に対して真摯でない」という意味ではなく、単純に「当事者ではない」という意味です。「薬が効かない」という、いいようもない恐怖を味わうのは、お医者さんではなく患者本人だということです。

 

前置きが長くなりました。

というわけで、以下は、「オススメ」というわけではなく、「わたしは脱保湿をしたあと、肌が回復していったんだけれどね、こうやって脱保湿したよ」という「事実」を書いていきたいと思います!

 

脱保湿前

オリーブ油、スクワランオイルなどいろいろ試していましたが、脱ステを経て最終的に使っていたのは「ワセリン」でした。薬局で購入して、ペタペタと塗っていました。

わたしの場合は、保湿剤をぬる意味は、見た目補修(カサカサ皮がむけているのを目立たなくする)のためであることが多く、主に、顔、手に塗っていました。

 

脱保湿

3回目のリバウンド(超!悪化)時に、保湿剤をやめました。

「やめかたのコツ」のようなものは何もなく、ワセリンを捨てて、それで、ジ・エンド、でした。

わたしの場合、最悪な状態のときは、皮膚が乾燥するというより、どちらかといえば、リンパ液で体中グッショリになるので、そもそも保湿剤は必要ではありませんでした。

リンパ液でグシャグシャになる→リンパ液が固まる→はがれる→またリンパ液があふれてくる→固まる→はがれる の繰り返しでした。

シャワーは日に何度も浴びていました。

 

超・重症期を抜けると、リンパ液が出るような状態はおさまり、皮膚がつっぱったり、皮がむけたりしましたが、もう保湿は一切しませんでした。

顔は、一見乾燥してモロモロ皮膚がはげるけれど、内側はじっとり油っぽいような感じ……。

多くのアトピーの人がそうであるように、わたしも元々、脂っぽい肌ではありません。どちらかといえば乾燥肌です。

ですから、この状態は、とても奇妙な感じでした。

それで、わたしは勝手に「(カサカサしているのに、油っぽいのは)長くワセリンを塗り続けていたからかな…?」と思いこんでいましたが、真偽のほどはよくわかりません。

「ワセリンは皮膚にしみこむなんてことはないので、長く塗り続けていたからといって、肌に蓄積なんかしません!」という意見も見かけたことがあるので、そうなのかも(蓄積なんかしないのかも)しれません。よくわかりません。

でも、ワセリンを塗るのをやめても、部分的にベタベタ油っぽい感じがしたのは、実感として事実です。

 

乾燥したり、かゆくなったりしたときには、コットンに番茶やウーロン茶を含ませたもので、患部を拭いていました。これは、赤ちゃんのおむつかぶれを、昔、番茶で洗っていたという話や、ウーロン茶風呂がアトピーにいいという話があったところから、来ています。

水分で拭くと、当然のように、乾くとカサカサになるのですが、カサカサになると、てのひらでやさしくさわってカサカサを落としたり、さらにお茶で拭いたりしていました。

やがて、カサカサが減り、そのうち、カサカサがなくなりました。お茶で拭くこともなくなりました。

 

いちばん乾燥がつらかったのは「手の甲」で、冬場、ガッサガサになりました。

あかぎれのようになって、ひび割れて、血がにじむこともありました。

それでも、保湿はせず(ステロイドがこわくなったように、一時、保湿剤もすごくこわくなってしまいました)、手袋をしたり、自分の息を吹きかけて(ほんの僅かでも)潤いを与えるようにしたり、手をこすりあわせてなんとか湿らせるようにしていました。

ガサガサな手は、見るも哀れでしたが、あかぎれは、わたし基準では、アトピーよりはよっぽどマシでした。

 

そして、そのうち季節が巡り、乾燥はなくなり、肌は何もしなくても、うるおうようになりました。

そのまま冬になっても、保湿剤なしで(ローションなどもなしで)大丈夫になりました。そして、現在に至ります。

 

*脱保湿の前提として、顔・身体はお湯で洗い、石けん類は使用していませんでした。

手は(重症でなければ)石けんで洗っていました。