あとぷうの日記

重症アトピーでした。脱ステ+脱保湿+食生活で治しました。参考になればです!

アトピー歴.10 明けない夜明けはない

まあとにかくひどい状態でした。

正真正銘、ぼろぞうきんみたいでした。身体も、精神状態も。

とにかく、そっと放っておいてほしかったのですが、親がそれを許しませんでした。

実家に戻ったことで、たとえ夜中に眠れなくても(どうしても夜は寝られませんでした)、朝起きて布団をたたまなくてはならなかったし、食卓でごはんを食べたり、掃除をしたりしなくてはなりませんでした。

 

親が「こうしなさい」という自然療法的なことも、やるようになりました。

たいしたことではありません。

こんにゃく湿布*1とか、ビワ葉温灸*2とか…。

でも、状態がサイアクなときは、気持ちもいっぱいいっぱいで、めんどうだし、やりたくないし、そもそも効果があるとも思えないし、とにかくお願いだから放っておいてほしい……というのが本音。

でも、ボロボロの弱い立場なので、素直に従っていました。

 

わたしは日に夜に、深いためいきをつきながら、窓から外を見ながら、本を読んだり、効果があるんだかわからない自然療法の手当てをしたりしながら、肌同様、ひりひりの精神状態を抱えていました。

 

その頃、目を通した冊子に、「明けない夜明けはない」という文が載っていて、それまでだったら、この使い古された言い回しに辟易したと思うのですが、そのときは妙にひっかかって、「本当かなあ。だといいんだけれど…」なんて、ぼんやり考えていました。

 

先が見えない状態が、とてもつらかったです。

これが、たとえ長期間だとしても、「いついつには治るよ」と、はっきり区切ってもらうことができたら、どんなに気持ちが楽だったでしょう。

 

わたしは、「あと2週間後には…」「月末にはきっと…」「夏休みには…」と、望みをかけながら、大学4年生の前半を過ごしました。

 

わたしのぼろぞうきん状態がどれくらい続いたかは定かではありません。

それでも、やがてはトンネルを脱する日がきます。

就職活動からも、大学のゼミからも完全にドロップアウトしたわたしでしたが、留年するわけにはいかなかったので、夏休み後に、ゼミの先生に「これこれこういうわけで体調不良で大学にいけなかったのです。なんとか考慮してもらえませんか」と、言い訳めいたお願いをしにいきます。

顔も赤く、決して「いい状態」ではありませんでしたが、その時点では、電車に乗って、大学に行き、人に話をする、くらいのレベルには持ち直していた、ということです。

おそらく、それが夏休み後の10月。

家から出られなくなったのが、6月くらいだと思いますから、完全に引きこもっていたのは3~4か月のことだと思います。

 

どんなに先が見えなくても、いずれはその状態を脱します。

*1:温めたこんにゃくで丹田、肝臓、腎臓を温め、冷たいこんにゃくで脾臓を冷やす

*2:ビワの葉を使った温灸です